寄り道のススメ

関西を中心にぼちぼち芝居しています ののあざみ のblog

死を考える

産経新聞の朝刊にこんなタイトルの連載記事がある。
何気に読んでいて、大変ショックを受けてしまった。

田舎である老人が亡くなって、葬儀屋が都会に住む息子に連絡を
取った際に、息子から「葬儀はよろしくお願いします。」と言われる
ことがあるだとか、また、最近では「直葬」と言って葬儀はせずに、
火葬場でお坊さんがお経をあげて参列者もないまま荼毘にふされる例が
結構あるんだとか。

高齢化社会だの、核家族化だのといった背景がそこにはあるんだろうけど・・・。
自分の親が亡くなって、その最期を他人に任せる心理が私にはまったくわからない。
読んでいてとても悲しい気持ちになってしまった。

「死」については最近よく考える。

一番「死」を身近に感じたのは、数年前に交通事故にあって道に倒れているおじいさんを
見たとき。微動だにしないおじいさんを見て「死」とはこうしたものかと思った。
でも、その時に一番つらかったのは倒れているその人の近くに誰も寄っていかないことだった。
たまらずそばに寄っておじいさんの背中をさすってあげた手の感触が今でも鮮明に残っている。

その次は、初めての長期入院をしたとき。病院という場所は、生と死が生々しく存在する。
昨日まで、元気(病気だから元気というのもおかしいいけど)に廊下を歩いていた人が
次の日にはもうこの世の人ではなくなっていたりする。毎日が淡々と過ぎてはいくけれど、
自分の「死」というものを嫌でも考えさせらる時間だった。

こないだの「スパイク・レコード」でも「骨」というキーワードがひっかかった。
志半ばで、突然命を絶たれた人間の想いはどこへいくのだろうか。
その想いは「骨」に染みて、その人間の描く夢を見つづけたりするんだろうか。

死んでしまったらそれまでよ。ではあまりに哀しい。
逝ってしまったものと残されたものの最期のコミュニケーションであるお葬式。
お金なんてかけなくてもいいから、心のこもったお見送りをしたいものだ。